ジョニーの闘尿日記(2014年7月~8月)目次に戻る 乾杯に戻る

 

8月11日(月)、12日(火)退院日

 8月10日から12日の3日間にわたり装着していた連続血糖測定(CGM:Continuous Glucose Monitoring)の測定結果を担当ドクターが今日午後5時に伝えに来た。
 糖尿病患者の上限指標である血糖値180を超える値は皆無であり、正常人の同指標である140を超える値も一回のみであった。糖尿病の教育課程も全て終わっているし、何時退院するかと聞く。
 では「明日の朝から」と言いかけたが、ちょっと待て明日は食前食後6回の血糖値測定日に当たっている。ここは最後まできちんと“お勤め”を果たして帰るべきではないか、と思い直し、「明日の夕食を済ませてから退院します。」と優等生の返答をした。
 今回は、あまりにもでたらめな食生活に加え、運動不足が重なり、これによって本来持っている糖尿病が怒りを爆発させたもの、と自己判断され、これはしっかりと自戒しなければならないと思う。そのことを踏まえて、敢えて言わせていただくと、入院はそのことを明確に自覚させるきっかけになるものであると同時にとても心休まる場所であることを発見した。読書三昧、パソコン三昧、日記三昧、昼寝三昧つまり自堕落三昧しても誰も文句を言わない、それが当たり前だと思ってくれる。これは幸せですよ。退院したら、途端に「MUST」の世界に投げ込まれる。
 明日は、防犯灯補助金の振込依頼書提出、農業用水路浚渫作業員日当の請求書提出、秋の短歌大会の広報原稿の提出、納骨堂組合規定の改正作業、それに魚釣りの準備がMUSTの態勢で待ってくれている。入院中に前捌きはしたものの、いやはや忙しい毎日なのです。
 拙文の読者の皆様、、どうぞどうぞご自愛、ゆめ糖尿病などに捕えられないよう、食事と運動にはくれぐれもお気をつけてお過ごしくださいませ!!

 

8月10日(日)

 人間つうなぁ、毎日、何かに「へぇ、そう(だった)かいな!」とちょっと、たまには大いにびっくり、感心して生きてゆくものらしい。でなきゃあ、生きていて面白ろうないもんな。
 昨夜遅く私の病室に患者が運ばれてきた。漏れる声から判断し、かなりの高齢者と見受けられる。付き添いは誰もおらず、また、熱が高いらしく、「座薬を入れるから腰を上げて。」など看護師たちの声が聞こる。点滴をする様子から見て栄養状態も十分ではなかったのではと思われ、独り暮らしだったのか、とも想像される。それにしても長期間体を洗ってなかったのだろう、臭いが激しい。ひと騒ぎの後、私は眠りに落ちた。

 11日の朝、昨夜の患者は、寝息を立てて眠っている。彼が発する高齢臭と垢の臭いが部屋に充満している。6時、看護師が来て、何も言わず、「まだ冷房がないから開けましょう。」と窓を開け放ち、私の血糖値測定に取り掛かる。8時、彼も目覚めて食事を摂るが、暫くしてまた眠りに落ちている。私は、風呂に入って、村の事務を処理する。

  10時、彼の目覚め同時に、看護師が複数集まり、「身体を拭きましょうか。」と清拭にかかる。「ああ、気持ちんよかぁ。」、とても喜んでいる。暫くしたら、本当に、かの臭いが消えている。
看護師がいう。「今まで寝てばかりで動かずご飯も食べてなかったんでしょう。今点滴しているからすぐに元気になるからね。早く起きれるようにならんといかんよ。」
患者が言う。「涙ん出るほどうれしかぁ。」、事実、涙ながらに震える声で「電話番号は何々だけん、息子に電話をかけて、動けるようになったけん安心してよかばいって言ってはいよ。」
 無論看護師は、鼻をぐずぐずさせながら「分かったよ。」。
 どういう経緯でこの病院に運ばれてきたのか、近隣の人が介在しているかどうか知る由もないが、近親者が近くにいない高齢者は多く、この場合、隣組の相互扶助がとっても大切ってことを痛感した出来事だった。

 

 

8月9日(土)

昨日、息子夫婦と一緒に二人の孫娘が帰って来た。1年生と4年生だ。妹はそういうことはなかったが、姉の方は昨年まで帰郷すれば私たち夫婦の間で川の字で眠っていた。私も、さすがに孫は嫌がったものの、ときどきは羽交い絞めにして、「へへ、可愛ゆいのう。」とか言いながら、抱いてあげたものだった。
ところが、今日、散歩に出て、その孫の手を取ろうとするとビクッと驚き、離れてゆく。顔立ち、身長、体つきは昨年とほとんど変わらないのに、心は体より先に成長するものらしく、確実に女性としての自覚が生まれてきているように思われる。彼女にとって今は自己のidentityを作り上げることに懸命でその他の事に目を向ける暇はないんだろうな。
孫の力強く伸びてゆく逞しい生を目の当たりにし、病院に戻れば、重篤な病状で身内の者が運ばれてきたのであろう、家族と思しき4、5人が一塊になって涙を流し、なにやら看護師に訴えている。看護師が必死になだめているが、嗚咽は止まらない。ここはやはり総合病院なのだ。
先に記した誤診により膵臓を半分切除した患者が言っていたことを思い出す。「手術したとしてもあとどのくらい生きられるのか、まずそれを聞かねばと考えていた。」と言うから、訊ねてみた。「死を前にして怖くなかったか。」これに対する彼の答である。
「膵臓がんと宣告された時点で腹を決めた。腹を決めたら腹が据わって怖さはなかった。」
人間の生きる行程にはさまざまの出来事がある。
伸び盛りには死を恐れるが、死を自覚したら覚悟が生まれ、家族は嘆き悲しむが、本人は泰然として三途の川を渡るのかもしれない。

 

8月8日(金)

糖尿病で入院しているからには血糖値の値を記録しておかねばならんだろう。

7月30日までは記録していたが、併せてその後の様子は次のとおりである(一日で最も高かった食前の空腹時血糖値)。

7/28 ⇒ 246

7/29 ⇒ 185

8/1 ⇒ 160

8/5 ⇒ 130

8/8 ⇒ 141

8/9 ⇒ 123

なお、血糖測定は原則として毎週火曜日と金曜日であるが、8月8日から11日までは、毎食後空腹時血糖を測定することになっている。
この数値を見ると明らかに血糖値が下がり、ほぼ正常人の値と変わらないところまで改善してきている。さすが入院、“病院様”と思う。家庭ではこうはいかない。そもそも糖尿病は何を食ってはいけないというものがなく、「バランスよく何でも食べて、しかしカロリーを制限する。」、これが食餌療法ってやつ、つまりアルコールは駄目とか、ステーキは駄目とか、メロンは駄目とか、そういうことは誰も言わない。「バランスですよぉ、バランス!」ってやつだから、家庭での節制が一層難しい。例えばだよ、焼酎をぐい飲み一杯、ステーキを50グラム、メロンを半キレ、、、そんなことができるかい!じゃあ、ステーキを食わんから焼酎200㏄にして、こう言ったら「それは駄目、バランス。」だって。
今日は愚痴になってしまったな。気を引き締めて節制していかんとね。分かっちゃあいるとよ!

 

8月7日(木)

 同室に80歳の心臓疾患の患者がいる。20年前に妻と死別し、52歳の息子と二人で暮らしているという。この息子、身長180㎝、体重90㎏の偉丈夫ではあるものの、父親に対してとても心優しい。以下、息子と父親との会話である。
 息子「他に何か要るもんのある?」
 親父「なんも要らんばい。もう帰ってよか。」
 息子「お茶んなかばってん、水筒に入れて冷たいお茶ば持ってこようか?」
 親父「なんも要らんて言いよろが。」
 息子「そんなら売店で買うて来ようだい。」と言って「お~いお茶」を買って戻ってくる。
 息子「財布はここ、箸はここ、歯ブラシはここだけんね、分かったね。使うた肌着はここに入れなっせ。おれが洗ろち、また持ってくるけん。」
 親父「分かったけん、早よう帰ってよかばい!」

 私(息子に)「お父さんと仲がいいねぇ。」
 息子(私に)「全く言うことを聞かんで、喧嘩ばっかですよ。」
 私(親父に)「いい息子さんですねぇ。」
 親父(私に)「50(歳)にもなって、いっちょんしっかりしきらんとですよ。」

親としては、息子に結婚もしてほしかろうし孫も欲しかろうとは思う、が、、
しかし、こんなに思いやり深く優しい息子と二人暮らすことができることに気付かず、どうして悪い面ばかりを観るんだろう?、、、と思う。
人間つうなぁ、自分が持っている正の面よりも、持たない負の部分が気になってしようがないのかなぁ。
この患者、狭心症の管理対策を立ててもらって、今日、例によって息子と口げんかしつつ、それでも仲良く帰って行ったよ。

 

8月6日(水)

行政区別の農地の面積という。この面積の計算方法について、国は、特段の制限を設定していないが、市は農業振興地域に限定するという。「何故だ?」と質問した。20歳台とみえる男性担当は口ごもり、立ち往生する。気の毒になり「予算の都合ではないのか?」と助け舟を出すが、そうではないのだろう、乗らない。説明者側はザワツキ、聴衆者は水を打つ。たまりかね、「もういいから。次の質問」と質問を打ち切った。私が我慢できなかったのは、その場に頭の禿げた赤ら顔の60歳近くの課長が座っているにもかかわらず、その若者に何の助言も、その場を取り繕ろおうともしなかったことだ。震えたね、「こいつらの組織は一体どうなっているんだ!」
同補助金は市が設置した幹線水路の罅(クラック)コンクリートの一部欠落等の補修を行政区が行った場合も補助金の対象となる。「この補助金を導入した場合、本来市が行うべき幹線水路の補修工事を行政区に肩代わりさせるのか。」と質問した。くだんの課長の回答である。「市の工事は予算によって縛られているので、何時補修できるか、それは答えられない。」
質問の趣旨を間違えたのか、故意に間違えたふりをしているのか。情けなくて涙が出るよ。これが地方行政の実態だぜ!

 

8月5日(火)

病院というところは、他人同士が1室で長期間生活を共にする空間である。このこと当然の事と割り切っている人が多いと思う。しかし、これが各個人(患者)の心に及ぼす影響は極めて大きいことをしっかりと認識している人はそう多くないと思う。認識している人は個室を選択するのかも知れないが、経済的な理由から大部屋を利用せざるを得ない人も少なくない。
病室を引越しして以来、親しくしていた気のいい48歳の若者が退院した。彼がいるだけで病室の雰囲気が和やかになり、他の室の患者が集まってきていた。彼と彼の周りに集まってくる他の人との違いは何だろうと考える。
集まってくる人には2種類ある。

1  一方的にしゃべりまくり、彼の話をほとんど聞いていない人

2 彼の話を聞いているように見えるが、その返答には全く気が乗っておらず、話の切れ目を盗み再び自分の話を持ち出す人
3 彼の話に興味を持ちしっかりと受け答えをし、その話題について自分の考えを述べている人
概ねこの3パターンに分けられるがパターン別に、ある明確な相違があることに気が付いた。
1と2は何と爺ばかりで3は若者だった。
分類1の方言爺は、私にとっては話の内容を的確に把握できんという意味でとても面白かったが、相手をさせられている若者は本当に気の毒、私なら愛想笑いの顔が歪むだろうなと思ったことだった。その若者、誠に残念ながら、いやめでたく本日退院していった。
彼が去った後のこの病室、和やかな雰囲気が保てるだろうか。

 

8月4日(月)

 入院したのは先週の月曜日だったから、すでに1週間を経過し2週間目に入っている。
  入院生活は、暇でも退屈でもなく、ホームシックにも罹らない。既にお話しした田舎病院のせいだろうが、そのことはとても有難いと思う。
  別室の入院患者、75歳を超えているだろうか、メリハリの利いた声と豊かな会話内容で人を引き付ける話をする男(これはここだけの話だが、現役のころは農協の組合長をしていたというから「さもありなん!」だな。)、その彼、熊本弁の達人なのだ。
  私は、幼少のころいつも忙しかった父母ではなく祖母に育てられたようなもので、この祖母は熊本弁以外を解さない人だったため、しっかりと熊本弁薫陶を受け熊本弁にはいささか強い。とはいえ、郷里を離れていた期間が長いため、喋る方はちと不自然になっているが、なんのヒヤリングについては、語彙数及びイントネーションについても私の右に出る者はざらにはおらず、相手の話を細大漏らさず受け取ることができると内心自負している、いや、自負していた。
  ところが、かのメリハリ男が繰り出す熊本弁は、その抑揚が平坦でストレスが各単語の頭に乗るまさに典型的な熊本弁であり、この私が聞き取れないのだ。無論、何について話しているのかは分かるが、微細の部分がとぎれとぎれで耳に入り、これを適切に理解しようという元気が失せる。驚いた。
メリハリ男の皺のよった口からほとばしりでる単語を書き抜き書きすれば、
 次のとおりである。

“かかあ、ぶきょする、ごんごます、だまきゃす、ようじゃようじゃ、ぐぁきゃなか、うっこわす、ずつせん、きょうじゃ、おとんぼ、むこすけ、つきゃせん、おごった、しらごつ、やるばなし、はまってしよらる、ええくらい。”

  如何ですかな?私は、各単語を一つ一つ切り出せば、知ってはいる。しかし、これを田舎の生活を活写する生きた言語として打ちまくられると、さすがについていけない。同室の48歳の気のいい若者は感心したように拝聴していたが、果たして聞き取れていたのだろうか。


8月3日(日)

所要があり、昨夜と今朝、自宅で食事した。
昨夜は

①茄子(焼きナス)

②胡瓜、苦瓜、ピーマン、キャベツ、トマトの盛り合わせサラダ(ノンオイルドレッシング)

③キャベツ、もやし、タマネギと豚肉少々の野菜炒め

④ピクルス風セロリ、ピーマン、ニンジン等サラダ(これは美味だったね。)

⑤豆腐少々

⑥ご飯(10口)。


今朝は

①味噌汁(若芽、玉ねぎ、ウス上げ等)

②キャベツ、キュウリ、苦瓜の千切りサラダ+トマト

③シシャモ(1尾)

④ソーセージ(半分)

⑤ご飯(9口)


病院食と比べて、カロリーはさほど変わらんと思うが、同じサラダにしても、その量が病院とは桁違いに多いので、満足できる。

野菜ってのは高価なんだよな、実は。患者が満足できるように野菜を供していたら病院の食事会計は赤字だろうさ、間違いなく。
  でも思う。ホテルや料亭、はたまた居酒屋、どこで食っても家庭の料理に勝るものはないね。

一度や二度であれば、確かに「際立って美味!」と思うかも知れんが、これを毎日食わされたんじゃァ、口の中に腫物ができるのは我慢するとしても、そもそも料理そのものにウンザリするわね。
 特に、採れ採れの野菜を思う存分食っている我々田舎人、料理は素朴であっても、芥川の「芋粥」と同じように、実はすごく贅沢しているんだと思う。
 病院食、、、美味しいよ、、、!少なくとも料亭の料理を三度三度食わせられるよりも、と思うね。
 入院して、1週間目、病院食でもさほど空腹を感じなくなってきた。

 

8月2日(土)

今日は午後2時から地元小学校単位の行政区の区長の会合、明日は地元中学校で午前8時から区長主催の球技大会が予定されている。
余談だが、「行政区」をご存じだろうか。概ね「大字」単位で構成される地域団体、いわゆる隣組を複数個束ねた規模の団体をいい、その長(区長)は、市町村の一定業務の遂行を受託し、身分は特別職の地方公務員となる。この制度は、都会では殆ど壊滅し、地域住民の任意に基づく「自治会」が定着している。行政区制度は、地域住民の一人(区長)を安価に雇用し、地域行政の様々な業務の実施を、職務として或いは職務と誤認させ、担わせることができる地方公共団体にとって極めて都合の良い制度となっている。
  さて、入院中の患者の外出許可の話をしようと思っている。
何を隠そう、私の血糖値は、最も高い値を示す夕食後2時間の値で222(入院初日7月28日)、188(29日)、171(30日)と、「空腹地獄」と引き換えに改善してきており(参考値、優:80~140、良:140~160、可:160~220)、不可:220以上)、 現在、「入院」は私の友人のような気がしてきているところ、したがって友人の忠告は胸襟を開いて受け止めようと考えている。
前置きが長くなったが、今日の昼食後から明日の昼食前までの看護師及び管理栄養士から外出時の注意事項をお伺いした。


看護師A(美人看護師):貴方は糖尿病なのだから一日1600Kcal以上の栄養を摂ってはいけません。

: その程度では空腹に耐えられません。
看護師A:貴方は病気なのです。病気を克服するためには当然節制が必要なのです。
管理栄養士:1日1600Kcalを守るよう努めてください。
:アルコールはどうですか。
管理栄養士:アルコールは食欲増進剤ですから副食をたくさん食べてしまいます。
:飯も食えん、酒も飲めんじゃ生きている甲斐がないじゃないですか?
管理栄養士:でもねぇ、私としては、そうとしか言えないんですよ。分かってくださいよ。
看護師B(優しい看護師):一日1600Kcalとなっているの、病院では守れるけど自宅ではなかなかよねぇ。
:でも、守らないと合併症が出るんじゃないですか?
看護師B:でも1600Kcalを守るってのは本当に大変よぉ。まぁねぇ、家庭では1600Kcalが基準だってことを覚えておけばいいのよ。それだけでも効果があるからぁ。

これ、本当の話だぜぇ。俺は一体どうすればいいんじゃあ??

 

 

8月1日(金)

娘から「入院は暇っしょ。」と電話がある。
え?身体の動きが少ないのは事実だが、“暇”とは思えんなぁ。脳みその動き具合は入院前と変わらんからね。
脳みそっう野郎はなかなか人を安心の境地には置いてくれんもんだ。かのホーキング博士は、99%自由にならぬ身体の中で唯一縦横に活動する脳みそを駆使し、何と「神の力を借りなくてもココロの発生は説明できる。」と宣う。きっと忙しく思考していらっしゃるんだよ。暇じゃないんだよなぁ。

 私の病室は6ベッド室であり、これまで2人で使っていたところ今日1人が入ってきた。
都会の方々には思いもつかないだろうが、中核総合病院とはいえ地方では当たり前のこと、特に筆記することもないかもしれないが、私の同室の3人はお互いの知人を介しての知り合いだったのだ。
1人は私の高校の同級生の野球及び学習指導の教え子でありもう一人は従姉妹の亭主の知人だった。更に、たまたま出身を訊ねた若い看護師さんは私の妻の友人のお隣さんだったのだ。若い看護師さんは「あらぁ、偶然!!、世の中は狭いですねぇ!」と驚いていた。が、考えてみれば、67歳にもなれば、同一及び近隣市町村程度であれば、何がしかの“しがらみ”はあり、友達の友達、イトコのイトコ位の関係なんざぁ、偶然でも不思議でもなく、当ったり前の必然だわなぁ。
それにしても、迂闊なことは言いも聞きもできんねぇ。コワ!     

 

7月31日(木)

他1人の患者は言う。「7.1程度だったヘモグロビンA1cが急激に11にまで上昇し、併せて体重が急激に減ってきた。

検査した有名病院の医師1人は膵臓がんの疑いが強いとのこと。その後、生検に臨むが、検査の途中で中止となり、別の医師が言う。「間違いなく膵臓がんであり、切除の必要がある。」
 腹を決めて同病院で膵臓の半分を切除し、その結果を問へば、がんではなかった。」とのこと。

しかし、半分となった膵臓では十分なインシュリンの量を生産できず、現在も血糖値が高くインシュリンの注入が欠かせないと憾む。
 軽々な言及はできないが、検査システムが高度化した現在でも診たて間違いがあるんだねぇ。

病院を疑うこと、セカンドオピニオンを求めることは一般にとても難しいが、他の思惑よりも自分の身体が大切であり、権威で押してくる医療関係者には正しく明確に対応せねばならぬと思う。
 火曜と金曜日に検査することになっている血糖地検査、昨日今日は検査せず、明日が検査日に当たる。小食と散歩運動の効果はどうだろう。ちと楽しみだぜぇ。
 そういえばここにもアラ50の美人(本当!)看護師殿がいて、この人がきつい。

「病院の検査や座学があるときは必ず在院すべし、散歩は病院内で行うべし。」と67歳の私に指示する。

「ナヌ!」と思わぬ私ではないが、眼元涼しい彼女に「まぁ、いいかぁ。」と受け入れてしまう。美人は得だねぇ。

 

7月30日(水)

現在の病室は高齢で重篤患者が多いので若く身体の自由が効く人達の病室に移ろうというので、部屋替えをする。

間取り前室と同じで、私のほかに2人患者がいる。1人は50歳、他1人はもうすぐ50歳という。二人ともインシュリン対象患者だが、外見は健常者と変わらない。
 我がままを言うわけではないが、やはり若い人との同室はいい。便器、咳、臭いがなく、会話がある。
 一人が言う「血糖値の値は入院中はコントロールできる。しかし、退院すれば、仕事の関係で体力を使うため、食事量が増え、血糖値が上がる。この悪循環だ。」。そうだよな、理解できる。
お腹がすいて我慢できない場合は、こんにゃく、海藻、キノコ類を食べよといい、例えば胡瓜、茄子などの季節の野菜とっても美味しく、カロリーも低めと思うのだが薦めてくれない。何故だろう。
糖尿病は、食事療法がもっと重要というのは理解できる。しかし「食」は人間にとってもっとも基本的な楽しみ、言わば生きる喜びの典型的な事項である。食の喜びは美味しさと満腹感に集約できるが、疾病対策としてこの二つを人間から奪う権利が医師にあるだろうか。投薬に伴う副作用については、これを極限まで減殺することが求められ、事実、実行されている。しかし、糖尿病の食事療法については、「糖尿病だからこれをこれだけしか食べてはいけない。」と制限するばかりで、もっと美味しくもっと満腹できるようにという副作用対策については、真剣な取り組みがなされていない。
若者よ、食い意地が張っているオジサンよ!君の目の前のその美味しい食事は、20年後の君を糖尿病に誘う甘い罠かもしれないぜ。ご用心召しませ。

 

7月29日(火)

同室患者は私を入れて3人、各々のエリアをしっかりとカーテンで仕切り、相互の交流はない。

私を除く2人、1人は寝たきりで1人は車椅子、交流がないのも無理はなく、これが入院というものだろう。
 この日食事の前後に合わせて6回の血糖検査を受ける。空腹時血糖値が下がり始める。

昨日昼食前に250に迫っていた値が朝食前132、昼食前185、夕食前147となっている。明らかに食事療法の影響だ。

私の身体は未だ敏感であり、養生により健康を取り戻せると自覚する。
ビデオ学習が糖尿病対策としては食事、運動、薬の3本柱という。私の経験でも運動、特に散歩の継続はA1c(エイワンシー)ヘモグロビンの値を低下させるとの意識がある。

入院時の1時間の散歩を日課にしようと決心する。
 午前1時過ぎ、同室患者の一人が失禁したらしい。臭いが激しい。女性看護師が飛んできて処理をする。

くぐもった声で「いいのよ、出なかったのが出てよかったねぇ。」と言う。廊下から手伝いを申し出る他の看護婦に言う声が聞こえる。

「うん、便器の方向を間違ったみたい。すぐに終わるから。いいよ。」、30分ほどテキパキ処理をし、患者に「お・や・す・み」と言いステーションに戻る。
看護師は偉い!

 

血糖値が気になるが、測定は週に2日、火曜と金曜日だ。この間は節制生活を続けるしかない。散歩を開始した。病院から自宅まで約3キロメータを歩く。  さすが疲れる、が、達成感がある。
食事である。タンパク質は少なく、野菜が多い。しかし味付けは、なかなか上手、美味しく不満なく食える。品数は少なく、ご飯のほか副食2又は3品、ちと寂しい。でもこれはいい。ただ、その量が圧倒的に少ない。ご飯は、副食の量によって変わる、少ない時は5口、普通で7口で食いきってしまう。“苦行”と自覚しているから我慢できるが、生きている喜びを殺してしまう。退院後の継続は不能だ。
散歩を始める。朝食後、病院から自宅までの3キロ強を炎天下歩く。さすが草臥れるが、代価として達成感を得る。

 

7月28日(月)

祖父の代からお付き合いのあるかかりつけ医師が「処方の薬が効いておらず、このままいけばインシュリンを考えざるを得ない。

将来的には失明、透析、足の切断等もありうる。」などと温厚な顔にニコリも浮かべず宣告する。
腹を決め、お勧めの地元の公立総合病院に入院することになった。
 朝9時、病院に向かう。覚悟の上とは言え、落ち込む私、つまらないことに言いがかりをつけ妻に辛い思いをさせる。

言い返したいところだろうが、彼女、入院を控えて落ち込む私を慮り、珍しく堪えてくれている。
 病室は6人部屋を4人で使用する仕組み、それぞれの区画はカーテンで仕切られ各区画とも広く、相互の交流は全くない。
 入院当初の検査として血糖値測定、心電図、胸部レントゲン、採血等などを受ける。慣れ知った検査項目であり、何ということもない、心が軽くなる。が、
血糖値は、案の定、空腹時で軽く200を超え、著しく高い、入院は正解だった。